日記

2006年12月26日(Tue)22:12  日記は、以下のアドレスに移動しました。
日記は、以下のアドレスに移動しました。

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2006年07月16日(Sun)00:06  道徳
 先日、知人と何気なく話していて、彼が『社会のルール』という意味で『道徳』という言葉を使っているのを聞いて、はっとした。

 『道徳』を広辞苑で調べてみると、

 ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。

とある。

 しかし、道徳は道の徳と書くし、道には形而上の意味がある。

 形而上者謂之道、形而下者謂之器

 形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う
                               (易経)


 例えば孔子にとって、道徳は仁と繋がり、それを保証するものは『天』ではなかったろうか。

 ‥‥もしかすると、現代の日本において“道徳”は、その解釈同様に、形而上性を喪失してしまっているのかもしれない。 

2006年07月12日(Wed)23:32 
魚が空に跳ねると、
『あいつは鳥になりたいのか? 魚の風上にもおけない魚だ。』
と、川底で呟く魚がいる。

トビウオが空を飛ぶと、
『ああ、あいつは鳥になった、俺たちの仲間じゃない。』
と、海の底でつぶやく魚がいる。

2006年07月05日(Wed)16:59  漂流者1
 
 友人から、「エドワード・サイードの映画を見てきた」というメールをもらった。
 
 彼は大手の旅行会社に勤めている人だが、日本人には珍しくパレスチナ問題に興味を持ち、年に一回はパレスチナに行っている。サイードの映画というのは、パレスチナを題材にしたものだろう。
 
 以前、姜 尚中氏がサイードについて語ったインタビュー記事を読んだことがあるが、エドワード・サイードについて、私は断片的な知識しかない。『オリエンタリズム』という書物を書いた思想家であり、最近亡くなったパレスチナ出身のクリスチャンであり、アメリカのどこかの大学教授だったと記憶しているが、友人は、「彼はスーフィーかもしれない」という一文を書き添えてきた。スーフィーとはスーフィズム(イスラム神秘主義)の信者のことだ。おそらく、エルサレム出身のアラブ・パレスティナ人であり、少数派のクリスチャンであるというサイードの複雑な出生が、彼の主張にスーフィー的な雰囲気を醸しださせていたのかもしれない。

 「故郷を持たない、いや持つことが出来ずにエグザイル(漂流者)として生きつづけたサイードは‥‥」と、友人は書いてきた。『漂流者』というのは、とても実感のあることばだと思う。

 私は、20代の頃にミシェル・フーコーに影響されたが、フーコーにしろサイードにしろ、こうしたジェンダーや国籍・宗教における『漂流者』の視点は、性差別や原理主義的狂騒、そして偏狭なナショナリズムや民族主義に対する有効な処方箋のような気がする。

 私の中国系日本人の友人も、こうした漂流者の視点を持っている。しかし彼女は自分を『漂流者』とはいわず、『狭間に棲息している生き物』だという。

 帰属の境界を生きるこうした人々の存在が、単純な二極化では括られなくなっている今の世界の中で、大きな意味を持ちつつあるのではないだろうか。

 帰属の内部にいると、どんなに素晴らしい知性や感性を持つ人も、けっして異なる世界の現実を知ることはできないように思う。帰属の内部から帰属の境界まで歩いていって、外へ向って手を伸ばしてみると、目には見えない幾重にも重なる蜘蛛の巣のような壁が、そこにあるのに気付く。
 そして外部から来た様々な “昆虫”は、その蜘蛛の巣に引っ掛り、内部にいる私達が知るのは、時折パラパラと足元に落ちてくる、“なにものか”に食べられた“昆虫らしきものの残骸”だけだ。
 
 蜘蛛の巣は、私達の心の中にも知らずに張り巡らされている。そして私達は “害虫”を恐れてそれを取り払おうとはしない。飛び込もうとしてきた“昆虫”が、害虫であるか益虫であるか、本当はどんな姿形をしているのか、帰属の内部にいる私達には、永遠にわからなくなる‥‥。

 だから、私達にとって、帰属の境界を生きる人たちは、他の世界を見つめる一つの窓になる。

2006年07月01日(Sat)00:24  カルト
 
 「日本人は無宗教」という言葉を良く聞くが、私が生まれ育った環境は、異なる宗教を熱心に信じる人たちで溢れていた。宗教によって支えられて生きる人も見てきたし、それによって自身の心を深く傷つけてしまう人も見てきた。思春期には宗教の分裂と、それによって争いあう人間の姿も見てきた。

 だからだろうか、宗教の問題は自分にとって常に頭から離れない。宗教とはなんなのか、なぜ人はそれを信じるのか、なぜそれによって人は救われたと感じ、なぜそれによって争うのか。
 宗教には、ありきたりな言い方だが、光と共に深い影がある。完全を装ってその影を隠蔽しようとすれば、それは人を飲み込む深い深い闇になる‥‥。

 ただ、その闇よりもっと恐ろしい闇があると、私は社会に出てから感じるようになった。

 20代になって企業の中に入ったとき、宗教独特の負のパラダイムだと思っていたものが、企業の中にも見え隠れしていることに気づき、驚いた。そこでは明らかな不正が、利益の追求のために行われていた。もっとも私の経験したものは、車のハンドルの“遊び”のような許容範囲のものにその時思えたが、しかしいったいどこに“許容範囲”を超えた明確な境界があるのだろうかと、疑問に思った。
 ある時、ある組織の中でおきたセクシャル・ハラスメントを目の当たりにしたとき、それに係わった人々の心の中から“許容範囲”も“境界”も、いつのまにかあった場所(と私が勝手に思い込んでいた場所)から消えてしまっていることに気がついた。あるものは生活を守るために、あるものは地位や名誉のために(結局のところ生き残るために)、誰もが必死でその事実を隠蔽しようとした。被害者は『XX社長も悪いがあなたも悪い』という言葉や、様々な脅しや利益への誘導によって、泣き寝入りを余儀なくされていった。倫理的な“許容範囲”はどこまでもじりじりと拡大していき、法的な境界は隠蔽のなかで喪失していった。

 閉鎖された世界の中では、道徳的な境界は水に滲む絵の具のようににどんどん薄く膨張してゆき、いつのまにか足元から消えてしまう。いや、境界は消えるわけではない。それは思いもよらない場所に引きなおされるのだ。

 ‥‥‥おそらく、欠陥自動車や欠陥住宅をそれと知りつつ売り続け、事故を隠蔽して新たな犠牲者を生み出す企業の構造と、そしてそれに荷担する人々の心の構造も、これと似ているかもしれない。

 “カルト”という言葉はふつう宗教に使う言葉だが、私は、宗教に限らずこうした“境界”を喪失した(引き直した)集団や人間のことを、カルトだと思う。そして宗教におけるカルトよりむしろ、それ以外のカルトのほうが社会の中で圧倒的に多く、そして見えにくい。カルト化は、一個の人間から家族、地域社会や企業、そして国家という巨大な組織に至ってある。

 私達の日常はカルトと峻別しなければならない。カルトを日常の中に見出すことは、それ自体がカルトだといえる。ただ、その境界はどこにあるのか。というより、自分の心の何処に境界を設定するのか。その根拠はなにか‥‥。

 ‥‥‥

 ‥‥‥人間ばかり見ていてはいけない、一つの世界にはまりこんだなら、暫し心をからっぽにして、月や雲でも見ることだ‥‥と、私はそうしている。それで境界が決められるのかどうかは解らないが、なんとはなく、そうしている‥‥。
 ほとんどの人がそうしているから、世界はまだ続いているのではないだろうか‥‥。



 如何なる神も是神なり
 心に空を持たざれば
 如何なる神も神ならざりき
 心貧しきは是空なり
 空に無名の神宿らん



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2006年06月20日(Tue)22:09  中国思想のなかのキリスト教 1(?)
皇矣上帝
臨下有赫
監觀四方
求民之莫

皇いなる上帝
下に臨みて赫たる有り
四方を監觀し
民の莫らんことを求む


 これは中国の古典である詩経(大雅皇矣)の言葉だ。

 “上帝”というのは、古代中国の殷朝の自然神“帝”と周の人格神“天”が融合してできた神概念とされ、中国においては古来から至高神を指す言葉として使われている。詩経に出てくる上帝(天、もしくは天帝)は、自然の背後にあって万物の存在を支える、蕩蕩と形なく広大無辺の知られざるなにかであり、また人間存在を、時に裁きつつも見守り支える神でもある。ただし、“上帝”は時代や場所によって様々に解釈される存在で、孔子が語る天(天帝・上帝)は、詩経のものとはまた異なってくるし、道教になるとさらに全く様相は異なってくる。
 中国において上帝は、特定の神をさす言葉ではなく普通名詞として使われるが、中国語の“神(シェン)”が、どちらかというと至高神というよりは天地の間にある諸霊という意味であるのに対し、上帝とは神(シェン)よりもはるか上位の存在に対してつけられる。上帝は、道教の玉皇上帝のように、神の名前の後に敬称としてつけられ、中国基督教では“耶和華(ヤーウェ)上帝”というふうにも使われる。
 
 この中国古来の“上帝”は、後に仏教思想によって仏や菩薩の下位に置かれた天・天帝とは、全く異なるものと考えていいと思う。仏教が摂受の対象として見たのは、おそらくは民間信仰の中の天や天帝であって、例えば孔子の語ったような天ではないと思う。

太初有道
道與上帝同在 道就是上帝
這道太初與上帝同在
萬物是藉著他造的 凡被造的 沒有一樣不是藉著他造的

大初に道あり
道は上帝と共にあり 道是れ上帝なりき
道は太初に上帝とともに在り
萬の物これに由りて成り
成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし


 これは漢語訳の聖經新約全書約翰福音(新約聖書ヨハネ伝)の、冒頭の言葉だ。引用した原文は“和合本(1912年刊)”といわれる聖經からのもので、この和合本が中国でもっとも広く普及している聖書だという。
 “上帝”も“道(タオ)”も、日本のキリスト教会では全く使わない言葉だが、中国のプロテスタント教会(中国では耶蘇教会または基督教会と呼ばれる。カトリックは天主教会)は、英訳聖書の“God”の訳語に上帝を使い、“word”の訳語に道を使っている。

 英語の“waord”が“道”と訳されているのは意外に思う人もいるかもしれないが、“waord”は聖書原典においては(よく知られている通り)“ロゴス”であり、これには“言葉”と共に“理法”という意がある。中国語の道(タオ)もまた、宇宙の根源的な理法、また道徳や道理・真理や美の生み出される根源を意味する言葉でもある。
 “道(タオ)”というと道教を思い出す人もいると思うが、道は道教でも儒教でも使われる哲学用語で、その意味はそれぞれに異なってくる。

 基督教において、耶蘇の証した眞理がただ語られた言葉だけのものではなく、人の喜びと苦悩、その現実の一切をその身に顕しつつ衆生を愛しきった耶蘇基督の、生きた道・十字架の道・以馬忤斯(エマオ)の道そのものが証された眞理であったとするならば、“道”というのは秀逸な訳語ではないだろうか。 耶蘇自身も『われは道なり。』(約翰福音十四章四節)と語っている。

 また、中国の基督教では “道成肉身”という言葉が良く使われる。これは日本語に訳すれば“道は人となった”であり、道の顕現としての天聖子(耶蘇)という意味だ。“道成肉身”というのは、仏教で言う“応身”に相当すると思う。

 



 下のリンクは、16世紀、明清朝時代の天主教聖堂で歌われていた聖歌だ。歌詞は「聖母經」といわれるもので、日本でいうところの天使祝詞、いわゆるアヴェ・マリアにあたる。
http://www.fujisima.jp/daisen/chinaseika/seika/chinaseika.htm
 知人が以前、フランスのマイナーレーベルのCDから録って送ってくれたものだが、そのころちょうど私も中国の明清朝時代の基督教に興味を持ち始めていた時期だったので、親しい友人に紹介しようと、ウェッブ・ぺージにしてもらっていた。
 このCDは、“明清北堂天主教晩祷”で検索すれば、インターネットでも購入できる。
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2004年12月24日(Fri)21:14  クリスマスに
『誰か』が人に、生の輝きに下降を与え、衰弱と優しさと死への憧憬を呼び起こすのなら、その『誰か』から多くの人は、少しずつ、離れ去っていくのではないか‥‥‥しかし、それもまた、死を迎える人、心の穏やかさを求める人には、必要なことかもしれない‥‥。

おそらくは、そうした衰弱とはまた別のところに、今日はある。

衰弱と下降の只中に、それは現れ、世界のすべてをその『底辺』から、恐るべき力で、上昇させた。

力強く輝くエランビタール。。

精神の衰弱と絶望の中でさえ、決して消え行くことのない、
それはパッションの激しさであり、復活の歓喜だ。。


( Daisen Fujishima

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2004年12月23日(Thu)  オルドとエラン
アリストテレスを、アウグスティヌス的な認識の元に単純に禁忌していたなら、聖トマス・アクィナスの神学は生まれなかったという。
トマスの神学は、アリストテレス哲学への深い洞察と、両者の分離と調和によって、生き生きとしたelanを生み出した。

車輪と車軸が分けて認識された時、単純に一つであったときより、早く回転し、躍動し、未来への新たな可能性を見出していく。

安易な融合も安易な禁忌も、感覚と知の車輪を止めてしまうだけなのかもしれない。。。

それをふまえて。。

東洋哲学は、啓示神学的な認識の元に単純に禁忌されるべきものなのだろうか。それをする人は、人類の知の半分を、喪失することになるのではないか。

『有るもの』の『眼差し』の中にあることは、僕にとっては、世界の諸相を結びつける唯一のオルドだ。

その眼差しと息吹の中に、限りない歓びがあり、知と感覚の、自由な躍動の根源がある。


( Daisen Fujishima

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2004年12月10日(Fri)  文明の旗頭
コミュニストでプロテスタント(実に日本的^^;)の友人と飲みに出かけた。

「ハイデッガーは、『欧州の現存在を脅かすコミュニズムへの恐れから、ナチズムに期待した。』のだそうだが、欧州の現存在とはなんなのだろう。。?」

という私の問いかけに、友人が答えていった。

「君が無教会主義を返上して隷属しているカトリックの某枢機卿は、『仏教は、西暦二〇〇〇年までに教会が受ける最も大きな挑戦として、マルクス主義に取って代わるであろう。』といったそうだが、枢機卿は仏教への恐れから、何に期待するのだろう。“ドミヌス・イエズス”か?」

‥‥‥小学生のころ、「林檎10個とみかん3個、あわせていくつですか?」と問われて、「はいっ! 2種類ですっ!」 と答えた僕に、そんな難しい方程式が解けるわけがない‥‥‥

‥‥‥‥‥‥。

‥‥‥‥‥‥。

‥‥仏陀もイエスも、特定の文明の旗頭となるために、生きたわけではなかろうに‥‥。

( Daisen Fujishima

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2004年12月03日(Fri)  アジアの精神
今日、12月3日は、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会士、フランシスコ・ザビエルの亡くなった日だ。

日本での2年間の宣教の中で、日本が中国の文化から多くを学んでいるのに気付いた彼は、日本の布教のためにはなによりまず中国にキリスト教を広めなければならないと考え、明への渡航を決意したという。

フランシスコ・ザビエルは1552年、広東省沖の上川島で、中国本土に足を踏み入れることなく、その生涯を終えた。

ザビエル亡き後のイエズス会は、范礼安(巡察師ヴァリニャノ)や利瑪竇(マテオ・リッチ)の指導のもと、中国の古典・儀式を深く学び、キリスト教の中国文化への適応を推し進めた。
このことは、イエズス会が『東アジア的なキリスト教』の先鞭をつけたこととしても有名だ。

黄河文明を生み出した中国は、数千年前から東洋の文化的中心軸にあり、思想・宗教・社会機構・テクノロジーのすべてにおいて、アジアにおいても世界においても常に先進し続けていた。その歴史の重厚さと東アジアの母体としてのパワーを、知性的なイエズス会士達は、知識と実感のなかでよく理解していたようだ。

しかし当時の、アジア・中国に対する知識のない欧州の高位聖職者達や、文化に対する配慮に欠けた他の宣教師たちは、イエズス会士たちが深い敬意を払い、大切にしていたものが何か、理解できなかった。

『適応の万法』をもってイエズス会が生み出し、教皇アレクサンドル7世によって承認された『中国典礼』は、後の教皇クレメンス9世や諸修道会の宣教師たちによって、禁忌とされてしまう。

1630年代に来中したフランシスコ会やドミニコ会等の宣教師達は、中国の儀礼・習慣を無視した布教を展開して、中国社会との激しい摩擦・軋轢を生みだしていく。それは教皇クレメンス11世と清朝雍正帝の決定的な対立へと発展し、1724年(雍正2年)、ついに中国において、全面的にキリスト教は禁止される。

中国人も日本人も、欧米の文化を好みと利益にあわせて摂取はするが、そのすべてを受け入れることはないし、アジアが(少なくとも東洋が)欧米の文明に飲み込まれることは、決してない。
アジアの精神の深みと大きさ、重厚な歴史と知の蓄積、欧州とは異なる進化を遂げた芸術等の、その価値を、いつか欧米人たちも、知識だけでなく、また異国情緒としてではなく、真に実感するときがくると思う。

大切なのは、むやみに焦らず、感情に流されず、なすべきことをなしながら、時を待つことだ。

『私達の歴史のなかでは、アジアの劣勢は、ほんの瞬きのような時間にすぎなかった。』
そう歴史の中で語られるときが必ずくる。

それはそう遠い未来のことではないと思う。

( Daisen Fujishima

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2004年12月02日(Thu)10:08  十字軍
いつの時代もそうだが、恒常的に優位に立つ側は、慢性的に劣勢に立つものの気持ちがわからないものだ。

かつて、オリエント世界の先進した思想と文化、社会・経済機構、科学技術を有したイスラーム諸国は、数世紀にわたって中世キリスト教諸国を侵略しつづけた。勢いのある新興勢力が、いつの時代でもやることだ。
初期キリスト教時代から続いていた代表的な5つの教会のうち、3つの教会がイスラームに飲み込まれ(最終的に、ローマを残して4つの教会が飲み込まれる)、イベリア半島のキリスト教国は打ち倒され、東ローマ帝国はその領土の大半を奪われて弱体化し、欧州経済の要だった地中海交易も、そのほとんどがイスラームの手中に帰してしまった。その衝撃で、中世ヨーロッパは、貨幣経済から物々交換の原始的な社会に転落していった。

そうした中で、イベリア半島のレコンキスタ(国土回復運動)と十字軍(聖地奪回運動)がおこっていくが、当時後進国だった欧州の諸侯と農民達の十字軍の実態は、周知の事実だが、唖然とするような残虐なものだった。第4次十字軍では、ベネチアの利権のために、同じキリスト教国の東ローマ帝国まで侵略するありさまだった。

その半面、このフランク族の気違いじみた反撃無く、歴史がなだらかに推移していたら、ヨーロッパはルネッサンスも産業革命も経験することなく、イスラーム世界に飲み込まれていったと思う。

欧州とイスラーム世界の力関係が逆転したのは、18世紀以降のことだ。ルネッサンスと産業革命によってイスラームに先進した欧州が、今度は激しくイスラーム世界を侵略して行く。

侵略した側は、侵略の歴史を忘れ、侵略された側は、その痛みを忘れることがない。だれもが、自分の痛みには敏感でも、他人の痛みには鈍感だ。

今のアメリカもそうかもしれない。
アメリカの掲げる民主主義の旗は、かつてのイスラーム諸国の掲げた旗に似ていないだろうか。それは輝かしく、たしかに古い世界を圧倒するほどに魅力的で、優れているかもしれないが、侵略はかならず、侵略された側の苦痛と叫び声の中で、思わぬときに思わぬ激しい反撃を呼ぶ。

この考えの骨子は、私のものではなく、エンジニアの知人が私に送ってくれたメールからのものだ。彼のメールには最後に『歴史は繰り返すのだろうか。』と書かれていた。

歴史は繰り返すと思う。

( Daisen Fujishima

*2004年11月18日(Thu)  東洋画
東洋画を見ていると、時折本当に、神が宿っているのではないかと思うような絵がある。

それは、自然や事象と共にありながら(事象の直中にまた事象を包み込んで)その背後にある「神の気配」を感じとったような絵だ。それは、複雑に変転する事象へのひたむきな、そして無心な眼差しのなかで、心に自ずから立ち現れてくるものを描こうとしたものなのだと思う。それは、言葉による原理の所有からは遠く離れた感覚だ。

善悪の彼岸に、描かれたものと、そして余白の中に。。。

( Daisen Fujisima

*2004年11月16日(Tue)00:30  日本
日本の文化をたどっていくと、日本以外の場所から入ってきた様々な思想・文化が、大きく影響しているのがよく良くわかる。
伝統とは、その国本来の、他国とは違う独自のオリジナリティーと考えがちだが、どうもそういうオリジナリティーにこだわると、文化はすごく限られた、やせ細ったものになってしまうようだ。しかしそれでも私達は、その時折に、日本らしさというものを、感じることができる。それを感じるのは、文化を還元主義的に見るのではなく、全体として、家の構造のようにとらえたときだ。

文化というのは、たった一本の柱で立っているものではない。何本もの柱でたっている。その柱は、日本では、儒教や道教などの中国の思想、唐・宋・元の絵画であったり、インドで生まれた仏教であったり、ヘレニズムの影響を受けた仏教彫刻だったり、欧米の文化であったりする。もちろん、神道に象徴されるような自然観であったりもする。

そして全体として、一つの家、日本文化としての姿を現す。。。

柱と柱は、梁で繋がり、地面に接地している部分は、この列島の自然と繋がり、地に根ざしている。

文化も自然も、国家も民族も、すべては生々流転していくし、あと千年の後には、この国も、今の自然も、なくなっているかもしれない。未来のことは誰にもわからない。
でもだからこそ、今この時の『日本』という国を、私は大切にしたい。。。

( Daisen Fujishima

*2004年11月11日(Thu)22:57  不安・原初的なるものへの回帰
一つの共同体が、恐怖感や不安感、挫折感を抱え込んだ時、その反動として「原初的なるものへの回帰、もしくは逃避」といった幻想が生み出されることがあるように思う。それは真に原初的であるのではなく、共同体の危機的な状況を回避・もしくは突破することを目的に、歴史の事象から抽出された、いわば装置として作られた原初性だ。

ナチス・ドイツは、キリスト教のシンボルを部分的に使いながら、もっと原初的な、民族主義的な、ゲルマン的な幻想への回帰を示した。

大日本帝国は、神道的なイメージ(神道そのものではない)を使った幻想世界を生み出した。

欧米列強との軋轢の中で生まれたイスラム原理主義もそうだ。

そしてピューリタンによって作られていったアメリカは、9.11の衝撃の中で、原初としてのピューリタン的なもの(真にピューリタンではなく)に回帰しようとしているのではないか‥‥‥戦後におけるキリスト教諸派の、「多様性のなかの一致」を探る、開明的な流れに反して。

どれもしかし内向きで、独善的で、決して世界の現実に誠実に対峙したものではないように思う。

そして今の日本も、多神教世界というアイデンティティーを抽出して、そこへ回帰しようとしている。。。

今を生きる日本人として忘れてはならないのは、戦後の日本が、異文化に対しては寛容さを示せても、異民族(人を伴う異文化)には不寛容だったということだ。

バブル経済の崩壊前まで、『日本の強さは単一民族であることにある。』と、多くの日本人が言っていた。『アメリカの景気が悪いのは、多民族社会としての纏まりのなさが原因だ。』と言う人もいた。単一民族であることのアイデンティティーのなかで、日本では異民族に極めて不寛容な政策がとられてきたし、今でもそうだ。先進国の中で、これほど難民を受け入れない国も珍しい。

日本人のアイデンティティーは、幻想の中では多神教的寛容さを有したとしても、現実においては、ある意味で、一神教諸国より不寛容なのではないだろうか。

寛容と不寛容を、単純に、宗教の問題に還元するのは誤っているように思う。もっと、社会の、人間存在の本質と結びつけて思索する必要があるのではないか。

例えば、不安・原初的なるものへの回帰、個人の不安を打ち消すための、共同体を纏めるための、装置としての集団幻想。。

( Daisen Fujishima

*2004年11月10日(Wed)21:14  一神教と多神教について
かつて中世のベネチア海軍は、軍神マルスや海神ジュピターに誓いを立てて、出撃していったという。
ヨーロッパに広く伝わるアーサー王の伝説には、キリストの聖杯とともに、魔術師マーリンや、常若の島アヴァロンといった、ケルト神話のモチーフが出てくる。
欧州には、ビーナスやアポロンといったギリシャ・ローマの神々を描いた芸術作品も多く、バチカンのシスティーナ礼拝堂には、ギリシャ神話の巫女が描かれている。
ワーグナーの有名な楽劇「指輪物語」は、ゲルマンの神話をモチーフにしたものだし、北欧のクリスマスには、聖ニコラウス役の人が出てくる前に、ゲルマン神話の大神オーディンが、場を清める役として出てきたりする。

日本のある有名な思想家は、「一神教は砂漠の宗教、多神教は森の宗教」といっていたが、その言葉自体に異論はないが、深い森のなかで生まれていったヨーロッパの教会は、その列柱は大木、天井のアーチは枝、ステンドグラスから差し込む光は木漏れ日のようで、明らかに、彼ら欧州人の原風景としての、深い森のイメージを現している。そして教会の中に居並ぶ諸聖人や天使の像は、まるで密教の諸菩薩のようにも見える。

文化は、人間の思惑によって作られた方程式に当てはめられるような単純さを廃して、複雑なのだと思う。人の心を映しているから‥‥。人はだれもがその内に、決して科学的な方程式や宗教的なドグマ、哲学的な、心理学的なディスクールでは規定し得ない深淵をもっているのだ。自然や宇宙と同じように。西欧人も、東洋人も。ただ、その時折時折に、一つの仮定を持ち出して、思索しているだけなのだと思う。

一神教対多神教という構図も、複雑な現実の諸相から抽出された、一つの仮定にすぎない。この単純な構図に、今の世界の諸相を乱暴に押し込んでしまわないようにしてほしい。特に、ジャーナリストや政治家達には。。

( Daisen Fujishima

*2004年11月08日(Mon)20:50  スーフィズム
先日、東京の書店で、イスラームのスーフィズム(神秘主義)の本を立ち読みした。その時、手元にそれを買えるだけのものが無かったので残念だったが、とても魅力的で、深く高度で、非常に興味深い内容だった。

私は、イエスに出会った。他の人は仏陀、もしくは仏法に出会い、またムハンマドに出会い、それぞれがそれぞれに、導かれていくのだと思う。

人間同士で、だれが一番『真理』に近いか競い合ったところで、何になるのだろう。今こうしているうちも、はるかかなたの銀河で星々は誕生し、赤色巨星は太陽より大きなプラズマを吐き、ブラックホールは恒星を飲み込み、銀河と銀河が衝突している。気の遠くなるような無限に近い宇宙の中で、一つの星の回転さえ変えられない人間同士が、だれが一番『神』に近いか競い合ったところで、何になるのだろう。

イスラム教徒もキリスト教徒も、仏教徒も、それぞれの信仰に敬意を持ちながら、安易な妥協に安住せず、しかし安易な比較による優位性の主張を控え、確信と友愛の中で、今を生き、時を待つべきなのではないか。。。

( Daisen Fujishima

*2004年11月02日(Tue)20:48  イエスの眼差し カトリック教会
神の概念化を阻む、クリスチャンの実存の只中に在る『生きた』イエスの眼差しは、追い求めて得られるというものよりは、『気付く』という感じだ。

しかし、日々の生きることの闘争の中で、ミサに出る時間さへ惜しまれるような硬直化した行為の中で、残念ながら、私はその眼差しを失いがちだ。そして闘争は、神よりの逃走に変わっていく‥‥逃走は疲弊に、そして絶望に変わる‥‥絶望は、しかしまた、神への回帰、回心をもたらすが、こうしたことは、私の精神的な構造と、信仰の弱さゆえだ。

これを過剰にせめて、またこのことで絶望に陥らないようにと教えてくれたのは、私に洗礼を授けてくれたイタリア人神父だった。

遠回りに、螺旋を描く上昇、その希望というか。。

カトリックでは、『旅をする教会』という言葉が良く聞かれる。この言葉が私は好きだ。

完成の中に留まるのではなく、無神論や、時代の中で立ち現れる様々な哲学や宗教との遭遇と葛藤、そして終わりの無い思索のなかで、神を捜し求めるカトリックの神学。
人間の矛盾を、単純な排他ではなく、抱え込みながら存在しようとする教会。
禅を取り入れる教会。
十字軍やガリレオヘの迫害の非を認め、謝罪する教会。
教皇の発言に、真向から反発する大司教。。

今のカトリック教会の、矛盾を露にしながらも、時折目が点になるような不器用さを見せながらも、誠実に『今』に対峙し、道を歩んでいる姿が、私はとても好きだ。。

宗教においても人間においても、芸術においても、完全を装うものに、また不完全さを装うものに、警戒しなければいけない。誠実であること。これが大前提だ。

( Daisen Fujishima

*2004年11月01日(Mon)  原理主義とは
イスラームでは、『棄教者は死刑』なのだという。

しかしイスラームに詳しい友人によると、これは、19世紀以降の欧州との軋轢の中で生まれた、ハディース(預言者言行録)の原理主義的な解釈によるものなのだそうだ。現在のイスラーム諸国では、厳密に死刑が適用される国は少ないのだそうだ。

キリスト教でもそうだが、原理主義は、それぞれの宗教を歩む人が、それぞれに抱えこんでしまう、いわば人間存在の矛盾を、特異に先鋭化している部分があるように思う。私がそうと信じる信仰の本質からはあまりにかけ離れているように見えるので、原理主義も原理主義者も、信仰から切り離してしまいたくなるが、私の信仰の傍らにも、実は影のように寄り添ってはいないだろうか。。

一部の福音派のビジョンも、棄教者に対するイスラームの態度も。

私は、宗教や国家、あらゆる共同体や私自身の中に、時折狂気を感じる。子供のころ、頻繁に得体の知れない狂気に襲われたため(感受性の強い子供には時折見られることで、問題は無いと神経科の医者は言っていたが)、狂気の臭いに敏感なのかもしれない。

なにか、抑圧された、不安定な自我意識の反動としての、狂気というか‥‥。

宗教は、特に一神教は、神による『啓示』という、人間には変更不可な原理に、さまざまな事象や想いが集約されてしまうので、原理の部分的な選択によっては、その狂気も、まるでレンズの焦点を合わせたように先鋭化されてしまうことがあるように思う。

ヘブライの一神教は、アブラハムという一人の辺境の遊牧民から始まって、今では世界の人口の半数を教化するまでになったが、一部分において、世界を滅亡させるほどの負の力を、私はこの中に感じる時がある。

なにより、キリスト教なら愛である神、イスラームなら慈悲である神を、主軸におくことが大切なのではないだろうか。。。終末論的なビジョンや、戒律ではなく。

一神教は、人間の欲望を抑圧したり排斥するのではなく、欲望のベクトルを神に向けさせようとする宗教だと、私は思っている。しかしその過程においては、禅のように、概念化した神を意識せずに心を無にする時間も大切だと、最近思うようになった。日常の煩わしさを消して、心を無にし、『神にゆだねる』という意識さえ、ゆっくりと心の中に消していく‥‥。

日本のカトリックでは、禅を取り入れた、いわゆる『カトリック禅』の道場もある。

けっして、人間によって概念化されてしまった、金属のように強固で冷たい神に、取り憑かれてはいけないと思う。

( Daisen Fujishima